「聲の形」と”one for all, all for one.”

投稿者: | 2016年9月30日

映画「聲の形」を見てきました。ようやくです。
すでに興行10億円突破、入場者プレゼントも在庫切れ、大ヒットですね!

※参考
京都アニメーション最新作『聲の形』公開12日で興行収入10億円を突破 – エキサイトニュース

◆「ひとり」と「みんな」ってなんだろう?
「聲の形」は、「いじめっ子」の主人公・将也と、聴覚障害を持つヒロイン・硝子を中心にした構成です。
しかし、彼ら以外にも、たくさんの登場人物が出てきます。
そして、その一人ひとりがていねいに描写され、物語が進行していきます。

硝子を支える結弦が健気だったり、
将也の親友・長束くんが「ああ、いるいる!」って男子だったり、
旧友がそれぞれの方向に「大人」になっていたり、
周りの大人たちの振る舞いが全然違ったり…

でも、このキャラだけに感情移入できる、誰々の気持ちだけがわかる、のではなく、
登場人物全員のそれぞれ「どこか」に共感できると感じました。

登場人物それぞれが、将也や硝子の言動に、頷いたり反論したり、
あるいは何かを抱えてしまったりする。
それを見て、もちろん将也自身も悩み、硝子自身も苦しむ。

作中には彼らが衝突し合うタイミングが何度も出てきます。
決して気持ちのいいものではありません。
目を背けたくなる瞬間が何度もあります。

でもその時、観客は、目を背けてはいけないと思う。
なぜなら、観客の自分がどこかで体験したことを、この映画では表現しているから。
幼かった自分が目を背けたことに、もう一度向き合えと迫ってきているから。

「聲の形」は、「聴覚障害」に向き合う映画ではありません。

「ひとりのために行動する」ってなんだろう?
「みんなで一緒に生きる」ってなんだろう?

どこにでもあって、誰もが持ってるひとりの悩み。
その悩みに、みんなで向き合う作品なんだと感じました。

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パステルカラーが美しいマグカップ。買っちゃいました!
これでココアが飲みたいです。